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Something Neutral

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助っ人留学生の是非について。全国高校駅伝でケニア人が上位を占めることへの違和感。

そういやこの前、全国高校駅伝がテレビ中継されてた。この寒い時期に選手たちは颯爽と都大路を駆け抜けていく。高校生とはいえ全国大会だからその走力はけた違い。その辺ジョギングしてるおっさんとは大違い。

 

・・・のはずなのになぁ。

 

そんな高校生とは明らかに違う、圧倒的な走力をもって前の選手を次々と"ごぼう抜き"していく、それがケニア人留学生だ。

まあ、今に始まった問題ではないんだけど、陸上(長距離)ではケニア人留学生が非常に多い。年々増えて言ってる印象。

証拠に高校生最大のチャンピオンシップ、インターハイでは2018年近畿大会で入賞6人中5人が留学生で(日本人最高は5位)、近年日本人が優勝したのはもう20年ほど遡らなければいけない。

毎年問題になるこの留学生の是非なんだけど僕は反対です。

 

 23日の全国高校駅伝は、男子は倉敷(岡山)が2年ぶり2度目の優勝。女子は3年連続25度目の出場となった神村学園が鹿児島県勢では初V。その原動力となったのが、最終5区のケニア出身留学生だ。トップから31秒差の5位でタスキを受けると、一気に首位に立ってゴールした。男子で頂点に立った倉敷の3区を走った選手もケニア出身の留学生だった。昨年も女子優勝の仙台育英は2区を走ったケニア人留学生が、3年連続区間賞の走りで首位に立ち、リードを守り切った。

 90年代から助っ人を起用する学校が出てきて、近年は批判の声も少なくない。

(中略)

駅伝王国にとってケニア人助っ人は、ますます欠かせない存在になっているのだ。

引用:全国高校駅伝、神村学園Vの原動力はケニアの留学生 箱根も2区に留学生起用は当たり前|ニフティニュース

 

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引用:今夜世界陸上男子5000m決勝がスタート : 世界の中長距離

 

 

 

勝利至上主義が行き過ぎてはないか?

留学生を起用する各学校の表立った理由は「留学生を加入させることで、チーム全体のレベルが上がり、彼らに引き連れられるように日本人も奮起するから」である。

この言い分には概ね同意できる。というのは競技レベルっていうのは周りの環境に大きく左右されるから。同じ練習でも「他の人よりがんばる」という思うより、「このくらい当たり前」と思うほうがハードルは低い。ふつうのレベルを上げることこそ、競技レベル向上の近道だからだ。また低レベルのチームで強くなっても井の中の蛙では仕方がない。このレベルを上げてくれる存在こそ留学生なのだろう。前述の通り、日本人高校生では確かに到底太刀打ちできない。

 

でもね。これってすべて競技レベルの向上にしかフォーカスされてない

つまりは選手を強くするっていうことしか見えてないような気がする。

 

どういうことかというと、駅伝っていうスポーツは日本人が大好きでこの高校駅伝に限らず、箱根駅伝(大学生)、ニューイヤー駅伝(実業団)なんてすべてテレビ中継される。箱根駅伝なんて視聴率20%を超え、7時間×2日も放送されるオバケ番組なのだ。その超高視聴率の番組を年末、年始の絶好のタイミングで学校名をアピールできる。尾ひれ羽ひれついたナレーションは感動というポジティブなイメージをつける絶好のチャンス。だから私立の学校は是が非でも勝ちたい。

最も簡単な方法がケニア人留学生だ。彼らはケニアで代理人を通じて紹介され、日本にやってくる。もちろんそこにはマージンも払われるし、留学生の面倒を見る費用も学校は負担しなければいけない。(特待生制度までは不明だが)でもそれだけの効果が見込まれるのだ。

 

これはプロの話であれば大歓迎である。プロというのはその競技を生業としていて、勝つこととファンを喜ばすこと、お金を稼ぐことが至上命題だから。だから実業団駅伝でどんなに外国人が増えても、ラグビー日本代表が多国籍になっても競技が発展し、おもしろくなるなら問題ない。むしろウェルカムなのだ。欧州サッカーだって国籍はまちまちだ。ここで言いたいのはナショナリズムとかグローバリズムとか人種の話ではない。

高校は教育機関だということだ。

高校生活で必要なのは勝つことではない。勝つことで何を得るかである。目的と手段をはき違えているような気がするのだ。もちろん全国制覇は貴重な経験だが、それに勝るものはたくさんある。勝つことだけを良しとするとそのほかが見えなくなっていく。

 

「ケニア人と高校時代から競うことで国際レベルの選手を育てる」と言うが、それだったら海外遠征をしたらいい。コスト的にはずっと低いし、トータルで見て、高校時代に海外で試合するとういうことも人生のアドバンテージになるのではないか。またどうしてもケニア人と練習したいなら、部活ではなく、校外のクラブでするべきだ。部活の指導者は先生でコーチとは若干趣旨が異なる。意味合い的に先生は教育者でコーチは競技指導者だ。やっぱり競技レベルの向上(世界レベルの)と学校とは切り離すべきだと思う。

 

留学生のケアは行き届いているか?

留学生制度自体は悪いものではない。ただし、ふつう語学間留学とは留学生が滞在先の文化や言語を知りたい、その国に住んでみたいと希望して留学するものである。でもスポーツにおける留学についてはその土地の練習環境とお金である。環境についてはケニアより整っているかもしれない。ただし、〇〇をしてみたいというチャレンジ精神よりもお金につられている感は否めない。(出稼ぎに近い)

 

今年、全九州高校体育大会で延岡高校バスケ部のゴンゴ民主主義共和国の留学生が審判を殴ったとして帰国させられたことが問題になった。

 

 「スイマセン、スイマセン」。コンゴ民主共和国から来日した少年(15)は試合後、監督に抱き付き、校長にひざまずいて号泣しながら何度も謝ったという。

(中略)

 学校は問題の原因について、留学生本人とのコミュニケーションが不足▽本人に対する日本文化や道徳の教育・指導が不十分▽試合中の本人の異変をチームとして速やかに察知できなかった――と説明。

(中略)

 留学生の多くに共通する仏語を話せる非常勤教職員を雇うほか、日本語を学ぶ週3時限の授業とは別に週3時限、メンタルケアやコミュニケーションの時間を設け、留学生の様子や要望を理解し意思疎通不足を解消するよう検討中という。

引用:人種差別的な電話相次ぐ バスケ審判殴った留学生帰国へ - 一般スポーツ,テニス,バスケット,ラグビー,アメフット,格闘技,陸上:朝日新聞デジタル

 

まずそこから??っていうような内容。ゴンゴからの留学生を受け入れながら、フランス語を話せる人がおらず、留学生のメンタルケアやコミュニケーションはおざなり。彼らも助っ人である以前に高校生であるのだ。日本の高校で日本人と同じように学び、成長しなくてはいけない。もちろん勉強も必要だ。

 

このように留学生が日本の高校で本当に全うな教育を受けているかが疑問なのである。受け入れ態勢が整わないのに「日本人の競技力~」、「国際レベルの~」とか言っててもそれはこっちの事情としか受け取れない。学校の自己中でしかない。それができないようであれば、引き受けるべきではない。

 

まとめ

よって高校生の助っ人留学生受け入れは反対。ただし、来日目的がお金ではなく、憧れの対象でとして日本の競技が魅力的になり、受け入れ先が学校外のクラブであれば賛成。(お金を払ってでもしたい)

やっぱり高校生に大切なのは勝つことではなく、学ぶ、経験することである。若さ故に勝つことに集中しすぎてしまうが、そこは大人が注意すべきだ。ましてや大人が率先して勝ちを求めすぎることはない。