まいにちコツコツ抜け道さがし。

Something Neutral

大切なのは思いやり。日々のあれこれを多角的に考えるブログです。

型があるから破れる。個性は誰にでも備わっているんじゃなくて、一生懸命見出すもの。

毎週土曜日9時は特におもしろいテレビもないんで、晩飯食べながら『世界ふしぎ発見!』を見るのが恒例。子供のころはこんな海外の問題、みんなよく当てられるなぁって思ってたんだけど、それは自分も大人になると経験と知識もつくからわかるはずと勝手に納得していました。

 

いまでも全然わからんけど!

やらせちゃうんかな・・・

 

まあいいですそれは。

今回はオランダの話で「オランダの学校は個性を大切にしているから、一人ひとりに合った教育を行っています~」的な内容だったのね。ある子は授業中にも関わらず、一人で自習したり、ある子は発言せずに見てるだけだったり、ある子はずっとアクティブに発言してたり。

 

ほんでね。ゲストがりゅうちぇるだったんだけど、「僕は子供が生まれる前から行かせたい学校まで決めてる。その学校のほうが個性を大切にしてくれそうだから」ってな感じのことを言ってた。

 

こせい。

 

最近この手の個性尊重ストーリーを見ててなんだか変な感じがする。個性ってむちゃくちゃ重要なもので、無個性な人(人生)ってつまんないもんね。だけど、個性って誰にでも最初からあるものって思い込みすぎじゃないかな?その存在するコセイを磨けば光るみたいな。一様に皆がそう考えているような。

 

僕は思うんだけど、個性っていうのは誰にでも備わっている潜在的なものじゃなくて、一生懸命見出して作っていくものじゃないのかなぁっていう感覚がある。

サッカー元日本代表監督岡田武史さんの記事にこんな話がある。

 

 岡田が四国サッカーリーグに所属するローカルクラブのオーナーになったのには理由があった。

「日本人に合った世界に通用する岡田メソッドという型をつくろうと決めました」

 就任会見の席で、岡田はこう語り、続けた。

「あるスペイン人のコーチと話していた時に、“スペインにはプレーモデルと呼ばれるサッカーの型があるが、日本にはないのか?”と聞かれたんです。

 サッカーというのは、僕が選手の時には“蹴っとけ!”みたいに、型にはめるのではなく、自由な発想や個人の判断が大切だ、ということで“考えさせる指導”というのがはやっていた。それもあって日本のサッカーは急激に進歩していきました。

 ところが、その上を行っているスペインには型がある。でも彼らの言っている型というのは、よく聞いてみると“型にはめる型”ではなく共通認識なんだと……」

(中略)

 日本の教育を見ればわかりますが、“ゆとり教育”と呼ばれ、“自分の好きなものを探しなさい”と言われたところで、そう簡単に見つかるものじゃないですよ。逆に縛りがあるからこそ、自由になりたい、人とは違うことをやりたいという発想が生まれるんじゃないかなと……」

 

引用:第76回 型を追い求める型破りの挑戦(岡田武史) – SPORTS COMMUNICATIONS

 

型があるから破れる。型があるから工夫できる。

スポーツや教育に関わらずなんでも同じような気がする。コセイというものが先天的にあるわけではなく、土台として培ったものの中から環境や人間関係によって秀でてくるものがある。それが個性なんだろう。自分にしかできないことを見つけるんじゃない。自分にしかできないことを生み出すんだ。

 

だから日本の教育っていうのはあながち間違いだらけではないと思う。詰め込み教育とか揶揄されるけど、そのおかげでしっかりとした土台ができる。あとはその土台にどう土を盛るかが個性を成形できるかどうかのポイントである。「自分で考えて」っていうのをやっと発揮できる状況ができてくる。

 

ピカソの有名な絵はどれもこれも素人にはトンチンカンだけど、名画として評価されている。ちなみに僕は中学生の時、美術でピカソの絵を見て、皆が「自分にも描ける」とか言いだしてピカソ大会したことがある(笑)

でも実際のピカソの画力は素晴らしい。彼が若いころ描いた絵は素人目に見てもわかるほどうまい。(ピカソ 絵うまい - Google 検索

彼が「泣く女」や「ゲルニカ」のような作風になったのは理由がある。それまで主流だった目に見える風景をより正確に描く写実主義が写真の発展により価値が落ちてしまったのだ。それでピカソはキュビズムを創始した。それは色や風景を正確に表現するのではなく、感情を絵に加えて、一面的ではなく多面的に見せる作画だった。

 

写実主義が土台で、教育であるべきだと思う。キュビズムは教育を受けた上での試行錯誤の結果。つまり個性なんだと思う。

 

なんだか最近は個性、個性言いすぎて、型の大切さを誰も教えてくれない。「学校の勉強よりも自分の好きなことをする」。それはそれでいいんだけど、テストで100点取ることも同じくらい大切だよ。学校の勉強もできない人にノーベル賞は取れないよ。宿題を業者に代行させて、わが子には習い事や塾に行かせるなんて、そんなことじゃ個性は生まれない。

 

 

常識無視の天才みたいな個性が備わっている人なんてこの世にはいない。

 

皆、スラムダンクに夢見すぎ。