ノーベル賞の受賞が決まった本庶佑特別教授の記者会見で印象に残った言葉が「教科書の内容をそのまま信じない」ということ。
常識を常識として鵜呑みにするのではなく、事象の原因を考えて、時には立証して納得して理解しなさいといった趣旨であると僕は思った。
一番重要なのは、何か知りたい、不思議だと思う心を大切にする。教科書に書いてあることを信じない。本当はどうなっているのかという心を大切にする。自分の目でものを見る、そして納得する。そこまであきらめない。そういう若い小中学生が研究の道を志してほしい。
ノーベル賞:「多くの幸運で受賞に」 本庶さん一問一答 - 毎日新聞
これをテレビで見ててニュートンのことを思い出した方も少なからずいるんじゃないかな?13歳のころリンゴが落ちるのを見て、なぜリンゴが落ちるのかを考えたそうです。それが万有引力の研究に結びついたとかなんとか・・・(諸説あり)
やっぱりノーベル賞を獲得するような偉い研究者は皆そうなんでしょうね。
自分が子供のころなんて、朝学校で友達の宿題見せてもらったり、常識を疑うどころか常識を知ろうともしなかったしね。このころから「なぜ人は存在するのか」とか考えてたらもう偉い文学者とか科学者にでもなってたんだろうかなぁ(いや、なれるはずがない)
そんな僕なんですが、一つだけ教科書に載っていること(常識?)をいつまでたっても信じらずにいることがあります。
それは
熱いやかんに触ったら無意識に耳たぶに手が行くということ。
どうです?行きますか皆さん?しなくね?
確か中学のころ反射の授業で習ったんですが、生命の危険を感じると人は脳でなく脊髄で反射的に判断するというもの。有名なのは虫が突然目の前に来たら目を閉じるとか?
あの頃は先生が「熱いやかん触ったら耳に手をやるだろ~?それが脊髄反射だ!」とか言って、みんな「へぇ~(えっ?)」みたいな感じでその場の空気で納得してたようだったんですけど、これが未だに意味が分からんのです。
正直これは学校では実験できないから確かめようがない。(やけどしたら困るし)膝蓋腱反射とかは即、どこでもできるからブームになるんだけど。まあそれは置いといて。
なんでちょっとググるとこんな感じでした。
実は、耳たぶは、体全体の中では、かなり温度が低い部分です。耳たぶは、体全体よりも、なんと、約8度くらい温度が低そうです。人間の本能は、そのことを知っているために、熱い物を触った後には、ついつい無意識のうちに、耳たぶを触って、熱くなった手を冷やそうとするんですね。そのような理由ですから、もちろん、近くに水や氷があれば、そちらを触りますけれど、水や氷が無い時には、耳たぶを触るということです。ちなみに、熱い物を触って耳たぶを触るしぐさには、特に、心理的な意味や性格的な意味はありません。ただただ、熱いから冷やす、それだけのしぐさであります。
ほうほう。つまり僕の本能は耳たぶが冷たいのを知らないんだろうね。本能から馬鹿だったとは・・・。
まあ教科書に載ってることはあながち間違いじゃなかったんだろうね。
いや、待てよ
この常識を疑うっというとこまでできたとしてもググって答えをだそうとしてる時点でレベル低いやろ?って話。これが偉い研究者の少年時代ならお茶沸かしてあっつあつのやかんを触ってみるくらいのことするやろって話。
あーやっぱり僕はレベル低いっす。いけないね知らないことをネットで調べて知った気になってるの。偉い人の話を聞いて自分も偉くなった気でいるの。
手軽ではあるけど、内容が薄いし、発展性もない。これじゃあ新しいものとの出会う機会も減っちゃうよ。
本庶教授の言う通り、知りたいことは好奇心をもって貪欲にアクションしていかないとね。ブログもそうだけど自信の体験がある記事は深いしね。説明書の内容をまとめてるだけじゃ誰でもできる。
「じゃあやってみよう。」これ今日の教訓ね。
熱いやかんは触らんけど。(実はそんなに興味ない・・・)