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マラソン世界記録の更新と道具の進歩。スポーツと道具の関係性

Eliud Kipchoge

https://wired.jp/2017/05/09/nike-breaking2-report/

ベルリン・マラソン(16日、ベルリン)男子はリオデジャネイロ五輪覇者、エリウド・キプチョゲ(33)=ケニア=が2時間1分39秒の世界新記録で2連覇した。従来の記録はデニス・キメット(ケニア)が2014年大会でマークした2時間2分57秒。

www.sanspo.com

 

ついにマラソンの世界記録は2時間2分の壁を突き破った。

 

ここ数年、男子マラソンの記録更新は目覚ましい。

 

2008年にハイレ・ゲブレセラシェが2時間3分59秒を記録してから、これまでに16人が2時間4分を切るタイムを記録している。

 

1965年に重松森雄が2時間12分0秒を記録してから、特に近年は立て続けに何度も更新されてきた。

図録▽男子マラソンの世界記録の推移

 

これはまさに選手の努力の賜物であることは言うまでもない。

人類の身体能力が進歩しているのは数字が表している。疑いの余地はない。

 

だけどもう一つ、この進化には要因があると思う。

今回、世界記録を更新したエリウド・キプチョゲについて詳しい方なら気づくかもしれない。

注目すべきは彼のシューズ、ナイキのバックアップを受けていることだ。

 

ナイキが主催した"Breaking2"というプロジェクト。

 

簡単に説明すると

 

・「人類はフルマラソンを2時間以内で走ることができるのか」という疑問にチャレンジするプロジェクト。実際のレースでは他の選手、気象、コース、コンディションなどベストな状況を作ることは難しいが、それらをすべて最適の状況にし、実施する。

 

・もちろんギアも最先端のものをナイキがプロデュースする。

 

・結果はエリウド・キプチョゲが2時間0分25秒を記録。惜しくも2時間切りは逃すも、人類の可能性については一定の成功を示した。

 

www.nike.com

 

このプロジェクトで記録を更新しているのは身体能力だけではない、道具によってもたらされたものも要因として大きいということが証明された。

(個人的にはナイキのマーケティングにも関心するところだけど・・・)

 

道具の進歩はどこまでいくのだろうか。


一昔と比べ道具の形状、性能は大きく異なる。

選手の実力向上とともに道具も発展していくのだろう。

しかし、ときどき思うことがある。

 

道具の進歩が選手の実力を必要以上に引き上げて、スポーツの面白さを殺してしまっているのではないだろうかと。

 

つまり、その記録は本当にその選手が過去にその記録を出した選手を上回ったということだろうか。

 

道具の進化はスポーツのあり方自体も変えていった。

 

実際、道具の基準は曖昧だ。

 

例えば、陸上競技で車輪を使えばもちろん反則だ。

しかし、もし古代オリンピックに一人だけスパイクを履いて、スターティングブロックを蹴って、タータンを走れば間違えなく批判を浴びるだろう。

 

でも現代ではそれが常識だ。

 

これはやや極端な例だが、現代でも近しい事象はある。

 

2011年の世界陸上(健常者の大会)で義足のランナー、オスカーピストリウスがメダル候補に挙げられた。結局は準決勝で敗れてしまったのだが、もしメダルを獲得していれば彼の成績は本当に公平だと言えるだろうか。彼の努力は賞賛すべきだが、その義足がどの程度、結果を左右したか、客観的な判断は下せない。


また、2008年の北京五輪ではスピード社の水着を着用することが禁止になったこともあった。その理由は「速すぎる」から。(当時、世界記録更新した選手の多くがこれを着用していたし、たしかにこれまでのものとは見た目も大きく異なり、革新的な機能が備わっていた)

 

でもこれは、メーカーの開発意図と矛盾しているようにも思える。スピード社はそれまでのルールを犯さないよう、最高のパフォーマンスができるようにと新商品を開発した。しかし結果的に目指した最高のパフォーマンスがルールを変えてしまった。驚異過ぎる技術革新に時代(人々の理解)が追いつけなかったのだ。

 

道具の進歩がどれほどスポーツの魅力に貢献するのか?


道理の境界線はぼやけていて曖昧だ。

道具には明確な基準を見出しにくいから、道徳(前述ではパラスポーツ)や勝利の脚光などに埋もれて意義を考えることを怠ってしまう。

 

でもそれで良いのだろうか。

 

sportsの語源はdeportare(気晴らし)転じてdesport(楽しみ)である。

近代の競技スポーツは勝つことが至上命題だが、本質を考えればおかしな話だ。

つまり、勝つためにやるのでなく、楽しむために勝つのが正しい。

勝つことは目的でなく手段だ。

 

道具もそうあるべきだと思う。道具はすでにスポーツにとって必需品だ。でも、だからこそ主体となって結果を左右するものなく、選手に寄り添ってスポーツを輝かせるものであってほしい。道具の進歩がスポーツをつまらなくしてほしくない。

 

今回のマラソンの記録更新はまさしく世界を熱狂させるもので、ファンにとってはうれしいニュースである。

しかし、この記録更新に道具がどれほど関わっているかは定かではない。

記録更新が結果的にスポーツの価値を曖昧にすればそれは本質の矛盾に思うかもしれない。

 

でもくどいようだが、スポーツの本質は「楽しむ」こと。その価値は記録だけにない。

これを忘れてはいけないと思う。

 

環境や他者からの目、時には道徳にすら惑わされることなく、本質を第一に考える。

 

僕はどんなにスポーツのレベルが上がってもその本質の魅力を見誤ることなく楽しみたい。