体操のパワハラ問題なかなか終わらないですね。
この前こんな文章を書きました。
要するに、
塚原夫妻は「苦しむ」=「努力している」と思い込んでおり、これまでの習慣を引き継いで無意識的にパワハラをしていたということ。
上の記事では推測がほぼなのですが、それが確信に変わった文章を読みました。
パワハラに関して指導者は悪気がないのかもしれない。昔から続いていた雰囲気を引きずって無意識的に「苦しむこと」=「選手のため」と勘違いしてるんじゃないかな?
— おちゃ@はてなブログ (@ocha_yumyum) 2018年9月4日
これまで問題なしとされていた指導法の悪しに気づけなかった? https://t.co/qNDej9R1qW
ただ、その指導にはいい面も悪い面もあったとAさんは振り返る。勝つため、強くなるために千恵子氏は練習中も「このままでは強くなれないよ」など叱咤(しった)激励の言葉を多くかけるという。宮川選手は今回、「五輪に出られなくなるわよ」などといった言葉のハラスメントを訴えている。Aさんは「朝日生命で毎日千恵子先生の指導を受けていれば、慣れているし、当たり前のことと受け止められる。だが、急に言われたり、今回のように密室で1時間言われる状況であれば怖いと思うのは仕方ないと思う」と話した。(中略)
<取材後記>
「千恵子先生をたたくつもりはない」というAさんの思いは理解できる。体操を担当してわずか2年ではあるが、取材を通じて塚原氏と接し、その豪快で人懐こい人柄に引かれてさえいた。男子との接触を禁ずるなど極端だなと思う指導もすべては選手を思ってのこと。Aさんは「すべて悪気はないんですよね」とも話した。塚原氏が正しいと思ってきた指導がいつの間にか時代の流れ、選手の考えに合わなくなってきていた。それに本人が気付けなかったこと、周囲の人が指摘できなかったことが今回の問題を生んだのだとあらためて思った。
やはり塚原夫妻は指導方法にあからさまな非があるとは思っていなかっただろうし、根底には「良い」ことをしているというのがあると思います。
Aさんは「朝日生命で毎日千恵子先生の指導を受けていれば、慣れているし、当たり前のことと受け止められる。
(中略)
「千恵子先生をたたくつもりはない」というAさんの思い
つまり、この指導方法は昔から行われていて、選手はそれが一概に悪いと思っていたわけではなかったのです。
選手にとっての千恵子氏は厳しく、理不尽な指導もありながら、強くしてもらったという恩義を少なからず感じています。
やっぱり「厳しい」=「努力している」、理不尽に耐え抜いているから結果が出たと思っているんですかね。
例えば、これまで千恵子氏の指導を受けていた人が暴力や叱咤がない指導に変わったら、物足りなく感じるんじゃないですかね?
さらにもしそれで結果が出なければ、「自分が怠けているからだ」と勘違いして千恵子氏の指導に戻りたいと思うんじゃないですか?少なくとも選択肢の一つにはなり得ます。たとえ理由がほかにあったとしても(加齢とか)。
もう一つ例を挙げます。
名門の部活でスポーツに励む子供がいたとしましょう。
その子が自慢します。
「うちの部は先輩が言うことは絶対だ。理不尽でも耐えるのが当たり前よ。これくらい名門なら当たり前」
部外の生徒が言います。
「〇部ってスマホ禁止なんだって、厳しくない?」
メディアが言います。
「△高〇部は1か月に1回しか外出することができません。それだけ部活に打ち込むのです。」
強さの理由はき違えてないですか?
スポーツにおいて純粋に強いとは勝率や記録です。
そこに言及する前に、自分の「苦しさ」を用いて、強さを証明しようとしています。
もちろん勝率や記録も用いて表現するのでしょうが、「苦しさ」も強さのバロメーターになっているとは思います。
でも僕も子供の時はそう思っていた節がありますね。
「コーチが厳しいからおれらは名門だ」と。
だからわりと一般的な思考なんだと思います。
これらの理由から僕は塚原夫妻も悪いと思うのですが、スポーツ界の「厳しい」=「努力している」という雰囲気が彼らを作ったし、それを変えなければ暴力とパワハラは根絶できないと思うんです。
取材を通じて塚原氏と接し、その豪快で人懐こい人柄に引かれてさえいた。男子との接触を禁ずるなど極端だなと思う指導もすべては選手を思ってのこと。Aさんは「すべて悪気はないんですよね」とも話した。塚原氏が正しいと思ってきた指導がいつの間にか時代の流れ、選手の考えに合わなくなってきていた。それに本人が気付けなかったこと、周囲の人が指摘できなかったことが今回の問題を生んだのだとあらためて思った。
僕らみたいなネットの憶測でなんやらかんやら言う人より取材してきた方の言葉のほうが説得力もあります。
指導者の自己主張が選手の希望を抑圧している。
また速見元コーチも公開謝罪しましたね。
ニュースで見る限りは宮川選手と速見元コーチの信頼関係は相当のものだったと思います。自宅に速見元コーチの書いた五輪までの計画表などを飾っていることを見ているとそれは伺えます。
そして暴力の動画も報道されましたね。
【独自】速見コーチの「暴力映像」 宮川選手を平手打ち - FNN.jpプライムオンライン
女の子に振りかぶってまでビンタするなんて、正気の沙汰ではないです。
それは到底許されることではありません。永久に体操に関わってほしくないですね。
ただ速見元コーチが育った環境という面で考えると要因はそこにもあると思います。
もちろん暴力は如何なる理由があれどNGですが、速見元コーチも塚原夫妻同様に雰囲気に乗せられ、勘違いしていたんじゃないかなとも思います。
それともう一つ言いたいことがあります。
最近、指導者が選手より前に出てきすぎじゃないですかね?
基本スポーツの主役は選手です。
ただし、近年は指導者がメディアにもてはやされてか、「お前は才能があるから金メダルを取らせたい」みたいなセリフが多い気がします。
まあメディアに出るのは悪いことではないんですが、根本的なことは忘れてほしくないですよね。
力でがんじがらめにして選手に嫌とは言わせない。
自分がやりたいことのために、選手を使う。
「金メダルを取る」というのは選手の夢であって、指導者は選手の希望を叶えることが目標です。塚原夫妻、速見氏はそこを見誤っているようにも感じます。
たとえば選手の最終目標が「銅メダル」ならそれはそれでいいのかなとも思います。
それを無理矢理させるのではなく、モチベーションを上げていくのが正しい指導なんじゃないかなと思います。(非常に難しいことですが)
選手と指導者の二人三脚というよりは指導者が一方的に選手を引きずりまわしているような・・・。
体操だけでなく有名な指導者の中にはこのような意識の人が一定割合存在します。
前述の雰囲気だけでなく指導者の意識改革も同時に必要だと思います。
前書いたことの補足にはなるのですが、つまり・・・
暴力、パワハラは指導者個人だけの問題ではなく、スポーツ界の雰囲気と指導者全体の意識に根源があるんじゃないか
と思いました。
箱根駅伝の名門でも
最後に蛇足かもしれませんが・・・。
やっぱりねって感じがする。ここにも。スポーツ界がパワハラを軽く見過ぎていた。 https://t.co/MN0VXhaDVE
— おちゃ@はてなブログ (@ocha_yumyum) 2018年9月7日
ちなみにこの渡辺監督、高校を体罰で退職したにもかかわらずです。
僕はそれを知っていたので、「やっぱりやってたか」と素直に思いました。
いまいち体罰についての謝罪もパッとしないですし、就任後、当時のエースが突然退部するなど指導法には高校教諭時と同様批判が多くありました。
(その選手は卒業後、実業団で走り続けていることから競技が嫌いになったとは考えにくい)
よく高校退職後2年で日体大も採用したなって思いますが・・・。
これが2015年の渡辺監督についての記事↓
エースらが監督に不満 日本体育大学の箱根駅伝に漂う暗雲 - ライブドアニュース
「豊川工での実績から注目される指導者であることは間違いない。体罰問題で辞めた後も、渡辺監督を追って豊川工の選手が大量転校するなど、彼を慕う選手は少なくない」
やっぱりこういう指導を熱血といって求めた選手がいる。
そしてパワハラとすでにわかっていたのにそれを処罰できなかった日体大と世間。
こういう負遺産とも言える昭和の古い指導体質、意識は平成で区切りをつけてほしいですね。
たぶん他にもいくらでもあるから理不尽を感じている人はこの調子ですべて語ってほしいですね。
クリーンなスポーツで東京五輪を迎えたいものですね。